- 都市
- 那覇/沖縄本島(沖縄県)
1989年に首里城正殿復元工事が始まり30年。2019年1月復元工事が完成しました。国王の生活エリアの御内原(おうちばら)が2月に公開されたので行ってきました。首里城と首里城周辺の首里散策です。
旅のきっかけ | 約30年にわたる復元工事がに完了したので行ってみました。 |
---|---|
年/月 (何日間) | 2019年02月(3日間) |
人数 | 1人 ( 1 女性 ) 60代 |
都市 | 那覇/沖縄本島(沖縄県)、東京 |
旅のきっかけ | 約30年にわたる復元工事がに完了したので行ってみました。 |
---|---|
年/月 (何日間) | 2019年02月(3日間) |
人数 | 1人 ( 1 女性 ) 60代 |
都市 | 那覇/沖縄本島(沖縄県)、東京 |
ゆいレール首里駅から戻る形で龍潭通りへ入り、国王頌徳碑を越えたところにあるゲートを入ります。琉球松並木の遊歩道を上がり直に見える城壁に沿って行くと20分ほどで首里城の入口 歓會門に着きます。この辺りは往時見張り台だったところなので、那覇・首里の街並みが一望できます。
「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されている首里城ですが、正殿は復元されたものなので世界遺産ではなくその遺構が世界遺産として登録されています。城壁にも往時の面影が残り、写真のようにゴツゴツしたところは往時のもので整ったところは再建されたものです。
歓會門の手前にある御嶽(うたき)。御嶽は拝所のこと。こちらも世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」。往時のものは上部の一部のみでほとんどが復元されたものです。門の後ろ側はお社はなく森となっており、こちらに神様が降臨すると言われています。かつて王様が旅の安全を祈願した場所。
首里城の中心的建物。国王が政治や儀式を行う場です。正殿の二階にある玉座、御差床(うさすか)の下部にはリスとブドウが描かれています。沖縄にはリスもブドウもないので、シルクロードを通し伝わったものと言われます。どちらも子孫繁栄の象徴として縁起のよいものだそうです。
2019年1月復元工事が完成した御内原。御内原には国王と国王の家族がが暮らす黄金御殿(くがにうどぅん)があり、ここを中心として国王家族に使える女官部屋があったそうです。ここは女官たちが祭事を担っていた場所でもあり国王と国王家族・親戚以外は男子禁制の神聖なエリアでもあります。資料も少なく復元するのがとても難しく、いまだにわからないことも多いエリアだそうです。実際復元された建物もありますが、わからないままのものもあります。建物内は資料かないせいか復元されていません。
赤い建物の正殿を抜け正殿裏にある出入口を抜けると御内原の後之御庭(くしのうな)に出ます。
正面は世誇殿(よほこりでん)。右手に見えるのは黄金御殿(くがにうどぅん)から続く寄満(ゆいんち)。左手に見えるのは女官居室。
ここでの生活はドラマ「テンペスト」で見たような雰囲気だったのでしょうか?
世誇殿は王女の居室。
2枚目の写真は世誇殿の背後から正殿方面を撮ったもの。
左手に見える建物は台所の寄満。
ここは正殿横の国王の居室、黄金御殿から続いています。
世誇殿の横から東(あがり)のアザナへと向かいます。途中にある白銀門。白銀門の先には亡くなった国王を安置する「寝廟殿(しんびょうでん)」(写真3枚目右下の部分)があります。国王だけが通れる寝廟殿へ続く門が白銀門。
寝廟殿については資料がなく建物の様子などはわからないそうです。
さらに進むと東のアザナ。
女官居室を正面にして右手は湯屋、左手は淑順門(しゅくじゅんもん)。湯屋は女官用で国王用は別にあったと言われています。こちらも資料がなく建物は不明。淑順門は御内原に出入りする女官用の門です。
沖縄では日が昇る東を「あがり」沈む西を「いり」と言います。東のアザナとは首里城の東にある高台。振り返れば首里城が一望でき、遠くを見れば南城市、天気が良ければ神の島と言われる久高島まで見ることができます。
鎖之間で琉球菓子とさんぴん茶をいただきます。美しい琉球漆器にのせられた琉球菓子は左から花ぼうる、くんぺん、ちんるいこう、花ぼうるの裏側にちんすこうの4種類です。さんぴん茶はジャスミン茶のことでジャスミン茶の中国語の名称、香片茶(シャンピェンチャー)が名前の由来だそうです。琉球菓子は首里にある新垣カミ菓子店のものです。
2019年10月31日深夜防災無線が鳴り、首里城火災が市民に伝えられたそうです。慌てて外に出た友人は首里の山が真っ赤になっているのが俄には信じられない風景だったそうです。
焼失後、初めて公開されたのは12月12日。奉神門の前まで見学できるようになりました。門の間から見える正殿はすっかり焼け落ちたもの正殿前にあった一対の龍柱は焼け残りすくっと立っていました。それがさらに悲しみを増しカメラを向けることができませんでした。
首里城からの帰りは富久屋さんでお昼ごはん。細い道沿いの駐車場の奥にあるのでちょっと見つけにくいかもしれません。沖縄料理が数品のる定食がお勧めだそうですが、私には少々量が多すぎるのでゴーヤーちゃんぷると黒米のごはんだけにしました。手間がかかるので扱う店が少ないむじ汁定食がお勧め。むじとは田芋の茎のことです。
kekeさん
正殿をご覧になれなかったのですね。本土のお城とは違った琉球王朝独特のもので、シンプルでしたが色使いが美しく風格のあるものでした。写真不可の部分も多く、今では瞼に焼き付いただけのものもあります。復興が始まりました。令和8年を目標としているそうです。以前の再建時には資料が見つからなかったものが見つかったりしているので、次の正殿はさらに素晴らしいものになるのではないかと期待をしています。できあがった正殿はこの先いくらでも見られますが、再建の様子を見ることができるのは今だけです。焼け跡からどう立ち上がっていくのかをぜひ見にいらしてください。首里城のレシピをこれからもUPしますのでよろしかったらまたご覧になってくださいね。
いいね、そしてコメントをありがとうございます。
焼けた跡を見に行ったことがあります。門などを見てまわりましたが、首里城の立派さを頭の中で想像するしかありませんでした。
公開されてわずか8か月で焼失した首里城。とても残念です。
復元された首里城の貴重な写真をありがとうございます。