- 都市
- 川崎(神奈川県)
厄除けで知られる川崎大師は住まいのすぐお隣、お買い物や駅までの用事の際は境内を通り抜けています。 今回は改めて川崎大師を隅々まで探索してみました。
旅のきっかけ | コロナ禍であちこち歩き回れないので、住まいのお隣川崎大師のお散歩が休日のルーティンになりました😊 |
---|---|
年/月 (何日間) | 2021年04月(1日間) |
人数 | 1人 ( 1 女性 ) 50代 |
都市 | 川崎(神奈川県) |
旅のきっかけ | コロナ禍であちこち歩き回れないので、住まいのお隣川崎大師のお散歩が休日のルーティンになりました😊 |
---|---|
年/月 (何日間) | 2021年04月(1日間) |
人数 | 1人 ( 1 女性 ) 50代 |
都市 | 川崎(神奈川県) |
1128年平間兼乗という武士により開かれたとされる、弘法大師を御本尊とするお寺。
もろもろの災厄をことごとく消除する厄除大師として親しまれています。
総本山は京都東山七条にある智積院。
楼門形式の門で、戦後山門が無かったため、福島から移築したもの。大山門ができるまで平間寺の山門で、現在の不動門があるところにありました。
写真の大きな草鞋は、これだけ大きな人が居るぞと言う魔除の意味があるそうです。
境内には、高浜虚子をはじめとする句碑や供養碑、道標など歴史のある碑がたくさん残されています。
こちらの道標もその一つ
江戸時代盛んであった川崎大師参拝の江戸からの参詣者のために、川崎宿下手の六郷川(多摩川)寄り入口付近に建てられました。
当時の参詣者は六郷川を船で渡り、この道標に従って大師道へ進み川崎大師を目指したそうです。
弘法大師空海上人が、高野山・奥の院にご入定されてから丁度一千年の御遠忌(天保5年)に建碑されました。当時の本堂(昭和20年の戦災で焼失)が建てられたのと同じ年に作られ、今日まで180年以上もの間この地に立っています。
割とどちらの寺社にもあったりする(笑)昔の若者達の力くらべに使われたとされる石です。
写真2枚目に説明がありますが、一番大きい石は375キロもあったようですね。持ち上げられた人はいるのでしょうか?
こちらの銀杏の木は、第二次世界大戦の空襲時に本堂と共にその大部分を消失しましたが、その後奇跡的に復活して今も境内で生きています。
空襲時のダメージの痕跡が今でも根本に残っています。
こちらも日本のお寺にはよくある光景ですが、境内にあるお稲荷さんです。
川崎大師が昭和の戦災で、ご本尊は無事だったものの建物はほぼ焼失してしまった際に、奇跡的に焼けなかった福徳稲荷を大本堂の場所に移築して、再建されるまでの間人々の心の支えとなっ
たのだそうです。
お寺に神社、一見ちぐはぐに見えますが、人々の心のよりどころとして、川崎大師の歴史に無くてはならない存在だったのですね。
美肌、きれいな歯、美しさをつかさどるって、
毎日拝みたいですよね(笑)
でも、しょうづかの婆さんは私の中では三途の川で亡者の衣服を剥ぎ取る奪衣婆のイメージしか無くて...
その昔、品川の台場にあったといわれ「台場の久兵様」とか「歯のお地蔵さん」と呼ばれ、歯の痛みを癒し、容貌を美しくすると信じれているのだそうです。最近ではモデルさんや女優さんも参拝するのだとか...
地元の方もお大師様同様、しょうづかの婆さんの前を通る度に手を合わせていますよ。
川崎大師を開いた平間兼乗から発案された、川崎大師の公式キャラ
なんとなくせんと君の面影があるような気がするのは、私だけでしょうか(笑)
可愛らしいキャラクターがお迎えしてくれます。
全国100の寺院から拝受した砂が埋納されています。
参拝することで100の寺院をお参りしたのと同じご利益があると言われているらしい...
お手軽ですね。
そして、太鼓橋の向こうには光輝く仏像が鎮座しています。
川崎大師の代表的なお土産の久寿餅。
いくつかお店があり、地元の人はそれぞれご贔屓のお店があります。
そのなかでも門前に店を構えている住吉屋さん、
お隣のカフェでは久寿餅やスイーツをその場でいただけます。
こちらも川崎大師の名物、とんとんと飴を切る音から、とんとこ飴と呼ばれています。
その名の通り、どのお店でも飴をまな板で切る実演をしています。
写真のように、マネキンが切っているところもありますが...(笑)
あ、やはりそうなんですね。
納得(笑)
『ひらまくん』と『せんとくん』似てますねー✨作者は同じ、彫刻家の籔内佐斗司氏らしいですよ!やっぱり…笑。